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2017.7.7 Fri

羊をめぐる冒険 (1982)

 親しい関係にあった女性と別れた時、男性の記憶に最後まで残るのは、女性のどんな部分なのでしょうか? 多分、声から先に忘れて、匂いや、輪郭や、小さなジュエリーや着ていたものも分からなくなっていくのでしょう。でも、そこに包まれた身体は忘れても、意外とランジェリーは覚えているものなのかもしれません。
 村上春樹の「羊をめぐる冒険」に出てくるスリップの話を思い出して、ふと、そんなことを考えました。作者の初期三部作の最後の小説に当たる作品で、主人公は名前のない「僕」。「僕」は翻訳やPRを手がける小さな会社を大学時代の友人と営む男で、年齢は二十九歳。小説の導入部で、彼は若い妻と離婚しようとしています。彼女は会社の手伝いに来ていた女性で、主人公と結婚した時は二十一歳。他の男性と関係を持ち、彼女は二十二歳で夫と別れるのです。一九七八が舞台ということを考えると、当時の二十二歳は今よりもずっと大人っぽいのかもしれません。
 彼女がアパートを出ていった後、テーブルの向かい側にある誰もいない椅子をぼんやり眺めている内に、主人公は「昔読んだアメリカの小説」を思い出します。
「妻に家出された夫が、食堂の向かいの椅子に彼女のスリップを何ヶ月もかけておく話だった」
 悪くないアイデアだと思い、主人公は寝室で妻のクローゼットを調べてみますが、彼女は自分の痕跡を消し去るように全てを持ち去った後でした。

 小説の中で、主人公がかつての妻について詳細に思い出す場面はありません。代わりに、彼女が着ていたはずのスリップについてはもう一度出てきます。彼は新しい恋人になった「耳のきれいな」二十一歳の女性に「ねえ、君はスリップを着ないのかい?」と尋ねます。彼女はスリップ自体を持っていませんでした。出版社のアルバイトと耳のモデルをこなしながら、コールガールの仕事もしている彼女はレースのいい下着は持っているようでしたが。
 それにしても、こんな風に男性の記憶の中に残るスリップとはどんなものなのでしょう。いつもヒロインにコンサバで趣味のいい服を着せている村上春樹のことだから、そのスリップは飾りがなく、上質なシルクで、色はそう、黒に違いないと想像しているのですが。

山崎まどか

コラムニスト、翻訳家。映画や音楽、文学などカルチャー全般に造詣が深く、特に女子という軸から紐解く独自の視点にファンが多い。主な著書に『女子日和』(アスペクト)、『オリーブ少女ライフ』(河出書房新社)など。

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